オリンピックは武士道でおもてなし! ~日本人が忘れた日本の心
大和魂とか武士道という言葉は日本人なら誰でも知っていますが、それはどんなものなのか? と尋ねられて、それなりに答えられる人はどのくらいいるのでしょうか?
2020年には東京でオリンピックが開催されます。
わが国は「おもてなし」の心で外国の人たちをお迎えすることになるわけですが、尋ねられたときに「日本の心」を語れないのでは少し寂しいかもしれません。
日本人が誇りや心の美意識を失いつつあるとも言われています。
自らのアイデンティティを再認識するためにも、少しは語れるようにしておくとよいのではないでしょうか?
そこで、武士道にまつわる逸話をいくつかご紹介します。
スポンサーリンク
新渡戸稲造が明治時代に著わした「武士道」は世界的ベストセラーに!
旧5千円札の肖像につかわれていた新渡戸稲造は、国際連盟の事務局次長も務めた偉い人。アメリカ留学中に知り合った米国人の女性と結婚した国際派です。
妻から「日本人の精神の支柱はなにか?」と尋ねられたことをきっかけに、武士道という道徳観念について考え始めたといわれています。
その後、ベルギーの法学者と話しているときに「宗教教育がないのに、日本ではどんな道徳教育をしているのか?」と尋ねられ、「武士道」という書を著わすことにしたそうです。
当時の日本は、欧米諸国から「封建制度の残る野蛮で遅れた国」と見られていたため、日本人の精神風土を理解させ、誤解や偏見をとりのぞこうとする意図がありました。
1900年に「Bushido: The Soul of Japan」としてアメリカで出版され、その後世界7か国でベストセラーになります。
セオドア・ルーズベルトやジョン・F・ケネディ大統領などにも愛読され、「日本人は高貴な精神性を持った国民」であると国際的に認めさせるのに大きく貢献したといわれています。
当初は英語で出版され、日本語訳は8年後に出版されています。
米沢藩の上杉鷹山は、ケネディ大統領の尊敬する日本人
「武士道」には、江戸中期の米沢藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)の逸話が紹介されています。
ケネディ大統領が日本人記者から「もっとも尊敬する日本人は?」と尋ねられた際、「上杉鷹山」と答えたという有名な話があります。
日本人にはあまりなじみのない大名なので、その場にいた日本の記者は誰も知らなかったそうです。
鷹山は15才で米沢藩(現在の山形県)の藩主になりましたが、当時の藩は財政的に厳しく崩壊寸前、年貢の取り立てで農民は衰弱し、危機的状況にもかかわらず、武士たちはやり方をかえようとしませんでした。
スポンサーリンク
鷹山は緊縮財政をしくとともに、他藩の技術を導入し人を育てて藩の建て直しに成功しました。
「上に立つものは自ら率先して汚れ、人民に奉仕するのが使命だ」と説き、藩主にもかかわらず質素な身なりで、一汁一菜の食事しかとらず、一切の贈答を禁止しました。
これが、日本人の「仁」の心であると「武士道」は紹介したのです。
ジュネーブ条約の思想は日本には古来からあった!?
南総里見八犬伝で知られる江戸時代の大衆作家・滝沢馬琴(たきざわばきん)は、戦時における敵に対する介抱を説いています。
これは、敵兵捕虜の扱いを取り決めるジュネーブ条約ができるよりも前のことです。
平家物語の「敦盛最期」(あつもりさいご)でも、熊谷直実が組み伏せた平敦盛をみて、まだ子どもだと気づいて逃がそうとする話が描かれています。
古くから「窮鳥懐に入るときは、猟師もこれを撃たず」ということわざがあります。
窮地に陥った鳥が懐に飛び込んできてしまったら、さすがに猟師も撃つわけにはいかない、という意味です。
「武士の情け」という弱者救済の思想は古くからの日本人の美徳です。
菅原道真の子を救うためにわが子を差し出した侍
平安の貴族・菅原道真は都を追放されますが、敵はそれでは満足せずに道真の子どもを殺すことにします。
しかしそれを命じられたのは、かつて道真に深い恩を受けた侍。道真の御恩にむくいるためにと、泣く泣くわが子を身代りに差し出して殺しました。
これは極端な例ですが、忠義のためには、ときには個人的な情愛をも犠牲にするのが武士の魂です。
感情を表に出さない美学
「武士道」には、感情をおさえる美学についても描かれています。
「ある父親は、親心の弱さを子どもに見られないようにと、襖(ふすま)の陰に立って一晩中病気の子どもの呼吸に耳を傾けた」「ある母親は自分の臨終のときでさえ、子どもの勉学のさわりになるからと、枕元に子どもを呼び寄せなかった」などです。
江戸時代の俳人・加賀千代女の作とされる「蜻蛉(とんぼ)つり今日はどこまで行ったやら」は、先だった子どもを思う母親の歌です。
悲しみをまぎらそうと「とんぼ捕りにでかけていていないのだ」と思うことにしている心を表現しています。
しばしば日本人は「感情表現がヘタだ」と指摘されることがありますが、表現がヘタなのではなく、感情を隠すことが上手なのです。
死人に罪を着せるようなことは、武士の名折れ
江戸・元禄時代に切腹した中野将監(しょうげん)の部下の石井内蔵允(くらのじょう)は、将監の罪状について取り調べを受けましたが、亡くなった主君をかばいつづけたそうです。
「将監殿は何も知らなかったことで、私の失態です」とすべて一身に罪を背負いました。
取り調べ人に「ありのままを申せ」と諭されても、「故人となった人に罪を着せては、武士の本意とは言えない」とかばったのです。
その答えに感服した重役によって、石井内蔵允は無罪放免となりました。死人に罪を着せるようなことは、「武士の名折れ」なのです。
私たちが世界に誇れる精神的価値ともいえる「武士道」は、心の奥深くに受け継がれているはず。思い出すことも大切ではないでしょうか。
by 水の
スポンサーリンク