日本を代表する彫刻家である名和晃平が題材とする「Cell」の意味
彫刻とひと口に言ってもさまざまなものがあり、素材はもちろんテーマとするものもたくさんあります。
特に現代の芸術家たちは既存の美術よりも前衛的であろうと考えるため、題材は以前に比べていっそう独特のものになるでしょう。
現代の日本を代表する彫刻家のひとり名和晃平も、他にはない独特のテーマに取り組む人物で、斬新な彫刻作品を通してさまざまなことを表現しています。彼が題材としている「Cell」には、いったいどのような意味があるのでしょうか。
さまざまな素材を使いわけて作成される彫刻作品
1975年生まれ、京都市立芸術大学美術学部美術科彫刻専攻卒業という経歴を持つ名和晃平は、今もっとも活躍している彫刻家のひとりです。制作するまでの過程や作品そのものには、しばしば複雑かつ難解な部分が見受けられます。
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ガラスビーズ、プリズムシート、発泡ウレタンやシリコンオイルと言った形あるものだけでなく、光や映像、ドローイングと言った形のともなわないものでも作品を作っており、活動内容は彫刻という枠組みにおさまりません。
彼の芸術の根っこの部分には「Cell(細胞)」というものに対する考えがあります。生物を形づくる科学的なものとして、また社会を構成するものや精神と肉体を形成しているものとしての意味もふくんだ「Cell」だそうです。
彫刻作品に映像的作用をもたらした「BEADS」
上記のテーマをあつかった作品のいくつかはシリーズ化しており、いずれも細胞の活動について連想させます。たとえば「BEADS」というシリーズは、ネットで集めたモチーフをビーズでおおうことで、映像の彫刻化を試みたものです。
▲上の画像は「BEADS」シリーズのひとつで、鹿の剥製を透明なガラスのビーズでおおったものです。大小さまざまなサイズのビーズを使うことにより、見る位置によって剥製の見えかたが変化するようになっています。
ビーズを通して目にすると映るもののくわしさが変わるということを利用して、あたかも画像の解像度を変えているような効果を発揮します。つまりPicCell(ピクセル)、映像を構成するひとつひとつの細胞を表現しているということです。
最先端技術とのコラボレーション彫刻「Trans」
▲こちらは2013年に作られた「Trans」というシリーズの彫刻ですが、3Dモデリングを用いて制作されました。現実感のある仮想空間をつくる技術(AR)をさらに発展させた形、仮想の物質が現実にでてきた感覚を形にした作品です。
本来は現実にでてくることのない二次元のものを、三次元に立体化させることで見る人々の感覚を刺激し、次元の境をあいまいにすることで新たな感性、認識を呼びおこします。ある意味で芸術的ではない作品と言えるでしょう。
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なぜ芸術的でないかと言えば「BEADS」「Trans」ともに物質を形作るものや人が作ったものを視覚化するという方向性だからです。美術とは本来、芸術家のイメージを作品にするのであり、既存の物に変化を与えるのではありません。
ものに思想を込めるのではなく、もの自体に重きをおいた作品
つまり名和晃平は、いわゆる「自己表現」としての作品づくりはしておらず、あらゆるものを構成する「素材」自体を分析することで作品化する作家と言えるでしょう。そして完成したものが与えるのは、思想ではなく「気づき」です。
通常、作家が人々に発信するのは自分の作品に込められた思想やひとつのメッセージですが、名和晃平の考え「Cell」は造形自体にすでに現れており、作品を通してなにか直接的なメッセージを発信することはありません。
彼の彫刻がもたらすのは「Cell」という、ものごとの見方を変えるための新たな視点で、鑑賞する人々が自身でなにかしらに気づくためのきっかけです。ですから、見る人たちが作品を通して知ることはそれぞれ違います。
大きな流れを作りだす小さなものへと思いをはせる
▲画像は「FOAM」という作品で、会場におかれた発生装置から生みだされる泡が、絶えず形を変えていくものです。無数の泡が寄り集まってできた不定形の造形物は、小さなものが集合して大きな流れとなることを感じさせます。
実は上記の作品も、泡を細胞に見立て作られたものなのかもしれません。おそらく「Cell」とは、世のあらゆるものを構成する小さな要素と、それによって表出する大きなものの流れを人々に見つめ直させるという意味があるのでしょう。
つまり彫刻家、名和晃平が作品を通して行っているのは人々の麻痺した感覚を呼び覚ますことです。作品を見た人が既存の価値観について疑問を感じ、自分なりにひとつひとつの物事を考える機会を作ろうとしているのかもしれません。
名和晃平の彫刻作品は最先端の技術を取り入れたり、創作物を彫らずに別の素材を加えたりするなど、斬新な作り方をしています。彼の作品の基盤としてあるのは「Cell」という考え方、物事を構成するものに焦点をあてることです。
そしてふだん人が見ている大きな視点を崩し、細部にあるものを目に映すことで、今まで疑いもしなかったことに対して考えをめぐらせるようにさせます。自分で考え答えを探すことで、人々は新たな価値観を持つようになるでしょう。
つまり、作品の根っこの部分にある「Cell」とは世のなかにあるものの表面的な部分に、物事を構成する本質的なものが表れるようにするものであり、鑑賞した人たちひとりひとりに、独自の視点を持たせるためのものと言えるでしょう。
By筒井
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