毎年クリスマスに思い出したい「秘密のサンタ」のお話【後編】
アメリカで実際にあった感動実話、秘密のサンタ三部作のいよいよ後編になります。
もし、前篇と中編を読まれていいない方は、まずそちらをご覧になってください。
レストランの男性店員との感動の再開
秘密のサンタとして、正体不明の有名人となっていたラリーは、28年前にあわや無銭飲食で警察に突き出される寸前の自分に対して、落ちていたお金を拾うふりをしてポケットマネーからそっと20ドル札を手渡してくれた、あのレストランの元店員さんを探し当てて、会いに行きました。
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その男性の名は、テッド・ホーンといいました。この男性こそが、まさに秘密のサンタの生みの親といっていいかも知れません。
ラリーは、彼が自分にしてくれたことを、いつかきっと誰かにしてあげようとずっと心の中で思い続けていたのです。そして、その思いが数年後のポップコーン売り場での出来事をきっかけとして、秘密のサンタとして実現したのです。
神様は見ていたのでしょうか、ラリーが秘密のサンタの活動を続けることによって彼の会社の業績はどんどんよくなり、ラリーはそれなりに裕福になっていました。
自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーは1万ドル(約100万円)の入った封筒をテッドに手渡しました。テッドはそんなお金は受け取れないと拒否しましたが、ラリーも引きませんでした。
「もし、あなたがあの時20ドル札を手渡してくれなかったら、私は刑務所に入っていたでしょう。あなたは本当に私の人生を変えてくれた恩人です」
ラリーが涙ながらにそういうと、テッドは答えました。
「あなたを警察に突き出すのは簡単でした。でも、あなたに他人への優しさを知ってほしいと思って20ドル札を差し出したのです。それをずっと覚えていてくれて、秘密のサンタの活動を続けてこられたあなたは、本当に素晴らしい方です」
テッドはその後、ラリーから受け取った1万ドルをすべて、病気で困っている人たちや貧しくて生活が苦しい人のために使いました。テッドもまた、28年たっても人を思いやるという気持ちがずっと健在だったのです。
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総額150万ドルのクリスマスプレゼント
会社の経営がますます順調になったラリーは、秘密のサンタの活動を全米に広げていきました。
2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行って、職を失った人たちやホームレスの人たちに会いに行きクリスマスプレゼントを配りました。その時にラリーが彼らに手渡したお金の総額は2万5千ドル(約250万円)にもなっていました。
さらにその後の2005年には、ラリーはハリケーンで壊滅的な被害を受けたミシシッピ州に行き、7万5千ドル(約750万円)ものお金を被害者の方たちに配りました。ラリーが秘密のサンタとして27年間に貧しい人や恵まれない人に配ったお金の総額は、なんと150万ドル(約1億5千万円)にもなりました。
ラリーがマスコミの前で正体を明かす決意を
そんなラリーですが、2007年、ついに彼が秘密のサンタとしての正体をカメラの前で明かす時が来ました。実は、ラリーは2006年の4月に食道がんにかかり、治療をしなければ余命1ヶ月であると宣告されていたのです。
ラリーは治療に専念しましたが、自分がもう長くは生きられないことを悟ると、身近な人への思いやる気持ちを大勢の人に広げて欲しいというメッセージを送るために、あえてマスコミの前に姿を現したのです。
その反響はすさまじいものでした。2日間で7000通もの手紙やメールがラリーのもとに届いたのです。それらの手紙やメールの内容の大半が、自分も秘密のサンタになりたい、というものでした。
その年のクリスマスも、ラリーは病気と闘いながら秘密のサンタの活動を行いました。そのおかげで、大勢の人が笑顔でクリスマスを迎えることが出来ました。
そして、最後の秘密のサンタとしての活動を終えたラリーは、翌年の1月12日に58年間の短い生涯を終えました。
全米の多くの人たちにとって、「秘密のサンタ」の笑顔と優しさが「永遠のサンタ」として心の奥に刻まれることとなりました。
ぜひ子供たちに、この秘密のサンタのお話を聞かせてあげて下さい。
そして、毎年クリスマスが来るたびこのお話を思い出し、ラリーが一人でも多くの人に伝えたかった、人を思いやるという気持ちを素直に受け止めてあげてください。
by知る蔵
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