紀貫之が土佐日記に隠した秘密とは?~女性のフリは暗号だった!
「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」で始まる「土佐日記」は、平安時代の代表的歌人である紀貫之が書いたものです。
高校の古典で必ず取り上げられますので、誰でもご存知でしょう。
この作品は、貫之が女性のフリをした「女性仮託」(じょせいかたく)とされています。
ただ、「なぜ女性のフリをしたのか」については、平安時代以来諸説あり、釈然としないまま1000年以上過ぎてしまった日記でもあります。冒頭文で「女です」と装っておきながら、中身を読めばすぐに書き手が男性であることがバレてしまいます。
紀貫之ほどの大文学者が、バレバレの擬装をするのだろうか? という疑問がどうしてもついてまわるのです。実は、この疑問に対してかなり明確な答えとなる新説があります。
そもそも「女のフリ」をしたものなどではない、天才ならではの「暗号」という解釈です。実にユニークで、しかも非常に説得力がありますのでご紹介します。
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「女性のフリ」とされたのは200年後!?
紀貫之は、9世紀の後半に生まれ945年に亡くなったと言われています。土佐日記が書かれたのは935年ころで、当時60代半ばであったと推定されます。鎌倉時代までは本人自筆のものが残っていたそうですが散逸し、現在は藤原定家などの写本が残っているのみです。
定家の写本は、貫之の自筆本を手にして書き写したもので、貫之自身のものと筆跡を含めてそっくりと考えられる貴重なものです。定家は写本を作っただけでなく、日記についての解釈・解説も残しており、その中で、この書は貫之が女性仮託をしたものとしました。これが現代まで続き、定説となっていま
ただ、藤原定家が生まれたのは貫之の200年も後のこと。仮名の使い方も既に大きく変わっており、定家自身も書き写すのにも解釈するのにもかなり苦労したと言われています。
自筆本の書写とはいえ、本人と直接面識があるわけでもありません。不明な点を尋ねることも不可能です。必ずしも定家の解釈が正しいとは言い切れないのです。
なぜ、そのようなことをしたのか? についてはいろんな説があります
女性仮託の理由については諸説あります。当時は、男性は漢字で書くのが常識で、仮名(かな)は女性が使うものでした。仮名で書きたいが、男性が仮名を使うことははばかられるため女性のフリをした、というのが通説です。
仮名を使った理由もいくつかあります。自由度の高い新しい表現方法にチャレンジするため、愛児を失った悲しみなどを表現するのに仮名の方が心情を強く表現できるため、などです。
当時、和歌については男性も仮名を使っていました。歌人である貫之は仮名の可能性を十分に知っていたので、新しい表現を模索したという説には十分説得力があります。実際に、土佐日記以降は仮名文学が発展していますので、功績は大きかったと言えるでしょう。
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女性のフリをしなければならないほどのことだったのか?
しかし、仮名を使うためには、どうしても女性のフリをしなければならなかったのでしょうか? この点については長年疑問視されているところです。土佐日記を読めばすぐに男性が書いたものだと分かります。
本文に署名はないものの、発表された当時から「紀貫之が書いた」とされていたわけですので、擬装をする意味はなかったでしょう。
貫之ほどの大物がすることなのか?
紀貫之は、当時の日本最高の文学者です。最大の敬意を払われてきた歌人であり、古今和歌集などの歌集には最高数の和歌が残され、絶対的な権威を誇った人物。そんな文学界の大物が、果たして「女性のフリ」などというチープな小細工をしたでしょうか?
現代で言えば、村上春樹さんが「上村はる子」とでもペンネームを名乗って、「2Q84」という小説を発表するようなものです。そんなことをするはずがない、と考えるのが普通ではないでしょうか?
平安時代には濁点はなかった!
「ず」や「が」につく濁点は平安時代にはありませんでした。近代でも法令などに濁点が使われるようになったのは、終戦後のことです。昔は「雨がしとしと」も「雨がジトジト」も、両方とも「しとしと」と表記されました。
古文を解釈する時には、文意から判断して濁点を付さなければなりません。これが、土佐日記の冒頭文の解釈を大きく変えるカギとなるのです。
「男もすなる……」に濁点を付けると、女性仮託ではなくなる!?
土佐日記の冒頭の文章に、一部濁点を付してみるとこうなります。
「男もずなる日記といふものを女もじてみむとてするなり」
これに文節をわかりやすくするため、『』を付けてみるとこうなります。
「『男もず』なる日記といふものを『女もじ』てみむとてするなり」
「男もず」は「男文字」、「女もじ」は「女文字」と読め、「男もず」は漢字のこと、「女文字」は仮名のことと解釈できます。文章の意味は、「(普通は)漢字で書く日記というものを、仮名で書いてみようと思って始めます」となります。女性のフリなどしていない、単に「仮名文字宣言」的な意味になるのです。
紀貫之の暗号だった!?
紀貫之は文章の天才だった人です。和歌には一つの文を二つの意味に読ませる手法がありますが、それを日記の冒頭文にも試したとしてもおかしくありません。
「女のフリをした」とも読めるし、「漢字ではなく仮名で書きます」とも読めるようなトリックを秘めたのではないでしょうか? 冒頭文は一種の暗号だったのです。
こう解釈すると、「バカバカしいマネ」だったものが「みごとな魔術」に変わります。紀貫之が遊び心のある天才だったとも受け取れますし、その巧妙な暗号は藤原定家すらもワナに掛けるほど巧妙で、1000年もの間、見破られなかったとも解釈できます。その方がミステリアスで、より魅力的になるのではないでしょうか?
by 水の
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