ベトナムのホイアンは江戸時代から日本と仲良し~朱印船をおもてなし
16世紀末から17世紀中頃まで、ホイアンは日本をはじめ、中国やオランダと積極的に友好関係を結んでいました。
17世紀前半と言えば、日本は江戸時代です。江戸幕府が江戸を統治し、初代将軍である徳川家康公の時代となります。
日本の朱印船を中国同様に手厚くおもてなし
徳川家康は朱印船をオランダや東南アジアにおくり、交易による国交樹立を試みました。その一つがホイアンでした。
ホイアンは日本の朱印船を中国同様に手厚くもてなし、友好関係は序々に深まっていきました。
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日本人はホイアンの民にうどんや建築技法などを伝え、それはいまもなおホイアンの伝統料理・建築として残っています。
特に歴史保護地区に建てられてある家屋は日本と中国、そしてベトナムの建築方法を取り入れており、大事な支柱や屋根の部分といったところは日本の建築方法が顕著に見られます。
朱印船の中にはトゥボン川近郊で沈んでしまった船もありました。
のちにその沈没船から多くの日本の調度品や通貨(当時江戸で流通していた寛永通宝)が発見されたことにより、日本と交易関係にあった重要な証拠として、現在は博物館に展示されています。
鎖国のため交易は30年も続かず
しかし、ホイアンとの交易は30年も続きませんでした。日本はほどなくして鎖国をはじめ、外国を締め出したからです。
またオランダの商館(オランダ東インド会社)も閉鎖され、さらには中国もホイアンとの関係を見直すようになり、ホイアンの繁栄はここで閉ざされました。
ホイアンはこれまで重要な港町の拠点でしたが、中心はダナンに移されました。
不幸中の幸い、ベトナム戦争時にホイアンはほぼ無傷で損害を被ることはありませんでした。そしてホイアンの古い町並みは1999年に世界遺産に登録され、現在に至ります。
ホイアンと日本及び中国との交易の歴史は「貿易陶磁博物館」にて詳しく学習することができます。
日本とホイアンが江戸時代から関係があったという事実に驚かれている方も多いことでしょう。
日本人旅行者にとっては、ホイアンはノスタルジー香る町並みとなりますので、町を散策しているとふと心が温まるような光景に出会えることでしょう。
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