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夢を追い続けてつかんだプロギタリスト人生~苦難の東京から再び大阪へ
バンド「太陽の塔」でつかみかけたチャンス…しかし、それはするりと私の手から逃げて行きました。それでも諦めなかった私は、大阪でプロミュージシャンとしての活動をスタートすることができました。
そんな私に転機がやってきました。
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東京でのいばらの道
そのレコード会社での仕事もいつまでも続くわけではありません。あるプロジェクトが終わると同時に、すぐに仕事がなくなってしまいました。これからどうすればよいのか…途方に暮れていたときに声をかけてくれたのが東京のミュージシャン仲間でした。
「東京に来いよ」
その一言に後押しされて、私は単身東京に乗り込んだのです。
東京に出るとすぐに私はバンドを立ちあげました。名前は「SPOON」。すでに、セッションミュージシャンとしての実績もありましたので、またたくまにメジャーデビューまで漕ぎつけることができました。
しかし順調だったのはここまで…。なかなか売れず、鳴かず飛ばずでせっかく見えかけていた大きな成功もつかむことができませんでした。
結局バンドは解散してしまいました。
しかし、そこでも私は諦めませんでした。バンド解散後、すぐにスタジオの店長をやりながらセッション活動の日々です。この時期に出会い、ともにセッションしたのがブラックボトムブラスバンドのメンバーや、SWICHのメンバーなどでした。
大きなチャンスとしては井手麻理子さんから、バックバンドのおさそいがきたこともありました。しかし、どうしてもスケジュールの都合が合わずに断念…。それほどまでに忙しい毎日だったのです。
しかし、セッション活動を地道に続けていたこともあり、ビッグネームと知り合う機会も少なくありませんでした。なんと、あの伝説のバンド・BOOWYのメンバーさんと飲む機会もあったほどです。
セッションミュージシャンとしてそれなりに充実した毎日を送っていましたが、結局、求めていた大きな成功はつかめませんでした。
これからどうしよう…そう悩んでいたときにあるおさそいを受け、再び大阪に戻ることになりました。
なぜか忙しい大阪ライフ
私を大阪に呼び戻してくれたのはメジャーレーベルに所属している、とあるボーカリストでした。
そこですぐにバンドに参加することになりました。その名も「Z.G.P」!かなりのキャリアを持つ凄腕ミュージシャンによって構成されたバンドでしたので、どこへ行っても取材の嵐です。残念ながら筆者はサポートなんで取材はなかったですけどね。
さらに私は「ルボアサンク」という大フィルの主席チェリストと主席コントラバス奏者のいる室内楽ユニットにスカウトされ参加することになりました。
演奏の場はおもにディナーショウでした。これまでにあまり経験したことのない舞台でしたので、とても新鮮でした。
この時期の思い出といえば、おばさんたちのアイドルになったことくらいでしょうか。しかし、ギタリストとして、ミュージシャンとしての幅を広げる上でとても大切な経験であったと思います。
フリーのプロギタリストとしては稼いでいた方でしょうか?でも正直、生活は楽なものではありませんでした。
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ブランク時代
やはり始まりがあると終わりがあります。それはバンドやユニットにもいえることでした。参加していた2つのユニットが解散してしまうと、また私は途方に暮れることになりました。
それでもなんとか稼がなければ生活して行くことはできません。そこで、一時的な繋ぎのつもりでグラフィックデザイナーという職に就きました。
ただやっぱり音楽漬けで生きてきた筆者には肌が合いません。そのストレスが私の体を蝕んで行きました。
そして「パニック障害」を発症。長い療養生活を余儀なくされました。
しかし、私にもっとも合った治療法ははっきりしています。やはり音楽をやること、ギターを弾くことでした。
「誰がカバやねんロックンロールショー」のボーカル、ダンシング義隆さんのサポートギタリストにさそわれるままに、私は再びギターを手にすることになりました。
最初は不安でしたが、いざやってみれば、体調は快調!発作も出ず!あっやっぱり音楽だ!と思ったものです。
海外進出
それからの私は初心に帰り、さまざまなオーディションを受け、その結果、作曲家としての仕事を得ることができました。
ですが、やっぱり私はギタリストなんですね。まだステージに立ちたい!そんな想いが日増しに強くなりました。
もちろん、プロギタリストとしてそれなりのキャリアを積んでいましたが、まだ私の求める理想にたどり着いたわけではありません。その方法を模索し続けていたとき、思い立ちました。
『日本がダメなら海外だ!』
すぐに私はネットを通じて自分の楽曲を世界に発信しました。
そんなある日一通のメールが…。
英語で「大阪でライブをやるのでギターを弾いてくれないか?」
海外に目を向けてみたものの、あまりにもうまく話が進みすぎています。正直、最初はいたずらではないか?と疑ってしまいました。
ですが、会話をしているうちにほんとうだとわかりました。そしてあの音楽評論家・伊藤政則も絶賛するBob DEE with Petroの一員としてライブをやることになったのです。
現在は作曲家、フリーのギタリストとしてグローバルな活動をしています。
最初に運と偶然…そう書いてしまいましたが、こうして振り返りながら考えてみると、私がプロになることができた理由が見えてきました。とにかく諦めずに音楽を続けること、そして小さなチャンスであっても決して見逃さないことです。
プロを目指しているあなたの参考になったでしょうか?
夢を追い続けることを諦めないでください。いつか、この記事を読んでプロギタリストになったあなたとセッションするのをたのしみにしています。
byルイーズ福井
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