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カーネル・サンダースは遅咲きじゃなかったって本当?

2014.12.11

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カーネル・サンダースが65才でケンタッキー・フライドチキン(KFC)を立ち上げたという話は有名です。

しかし、これはもちろん「65才まで何もやっていなかった」というわけではありません。

彼のKFCはいわば「第二の人生」で、その前から彼はそれなりの実績を残しているのです。

ここでは、KFCを立ち上げる前のカーネル・サンダース(以下「カーネル」)がどのような人生を送っていたのかを紹介します。

45才で、歴代大統領たちと同じ名誉称号をもらう

「カーネル」というのは彼の名前ではなく、「大佐」という称号です。

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彼の本名は「ハーランド・サンダース」で、「カーネル・サンダース」というのは「サンダース大佐」という意味なんですね。

ケンタッキー州は「ケンタッキー・カーネル(名誉大佐)」という独自の称号を定めています。

そして、州に対して大きな活躍をした人物に贈るのですが、この歴代の受賞者がものすごいのです。

ブッシュ、クリントン、レーガン、ジョンソン…という歴代の大統領。

そして、英国首相のチャーチル。

モハメド・アリ、タイガーウッズ、マリオ・アンドレッティ(レーサー)…というアスリート陣。

この錚々たる顔ぶれの中に45才で名前を連ねたわけですが、これを見ると「むしろ若い頃から有名だった」ということがわかります。

決して「65才でいきなり出てきた」わけではないんですね。

*ちなみに、残りの5人は日本人です。こちらは日本では無名ではあるものの、ケンタッキー州では大きな活躍をされた方々です。

KFCの元となるレストランは、40才で開店している

フライドチキンを作るカーネル
KFCの元となったのは、「サンダース・カフェ」というレストラン。

これを開店したのは40才の時で、当時経営していた「ガソリンスタンド内の食堂」でした。

というと「ついでの施設」のようですが、もともとカーネルは料理が大変得意でした。

ここで彼が出すフライドチキンなどの料理は、街中のレストランを遥かにこえるクオリティであり、長距離トラックの運転手たちが「運転する間、ずっとこのチキンの事を考えていた」と口々に言うくらいだったのです。

サンダース・カフェは大繁盛し、この活躍によって「州の料理に貢献した」ということで、上記のような名誉大佐の称号を受けたわけです。

「開店して5年で、大佐の称号をもらうくらいの繁盛店になる」ということは、そう簡単にきるものではありません。

これを見ても「カーネルはかなりのハイスピードで成功への道を突き進んでいた」ということが言えます。

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カーネルは天才だったのか?

ここまでに書いた内容からすると「カーネル・サンダースも結局、早くから活躍していた天才だったんだ。だから、われわれのような凡人が真似しようと思ってもムダである」というように聞こえるかも知れません。

しかし、彼の自伝を読む限り、少なくとも天才ではなかったと感じます。

例えば彼が最初に成功した事業は「ガソリンスタンド」でしたが、成功した理由も驚くほど簡単なものです。

それは「車のガラスをタダで拭いてあげる」というもの。

今でこそ当たり前となっているこのサービスですが、当時アメリカではカーネル以外やっていなかったそうです。

発想自体はきわめて平凡です。それまでに思いついた人もたくさんいたでしょう。

しかし、給油のたびにすべての車のガラスを拭くというのは、かなりの量の「タダ働き」です。

「思いついても、誰もやりたくない」という仕事だったでしょう。

しかし、カーネル・サンダースはそれを淡々と続けたわけです。

そして、ガソリンを拭くだけでなくエンジン周りのチェックなども無料でしてあげました。

この当時としては斬新なサービスが評判を読んで、彼のガソリンスタンドは大繁盛したわけです。

「ハードワークは役に立つ」

このように、カーネル・サンダースは生涯にわたってハードワークをしていたのですが、「ハードワークは役に立つ」というのが彼の信念でした。

才能や資本がなくても、とりあえずハードワークしていれば事業は軌道に乗る、ということです。

口で言うのは簡単ですが、実際に実行する気力や体力のある人は少ないでしょう。

カーネルだってきつい時はあったでしょうが、彼を支えていたのは小さい頃に母親から教えこまれた哲学です。

「人生で大切なものは、仕事を通して学べる」というものです。

実際彼の母親は、カーネルが10才の時から農場での住み込みの労働に送り出しています。

カーネルが5才の時に父親が亡くなったためカーネルも働かざるを得なかったのです。

ただ、その仕事は森の木を切り倒す仕事だったのですが、森にはたくさんの可愛い動物がいます。

10才のカーネルがそれらに夢中になって仕事ができなかったため、農場は1ヶ月でクビになってしまいました。

それで家に帰ったカーネルを、母親は厳しく叱りました。

「父さんがいない今、この家を支えるのはあなたなんですよ!なのに月2ドルの仕事もまともにこなせないなんて!」

10才の子供に「家を支える」という重責を与え、お給料の金額にまで、大人を相手にするようにはっきり言及しているわけです。

もちろん、今と昔では子供の労働に対する意識も違ったでしょうが、こういう彼の少年時代を知っても、「自分も65才までにカーネルのようになれる」と言える人がどれだけいるでしょうか。

彼の成功を支えたのは圧倒的はハードワークで、その背景には、こういう子供の頃からの長い歴史があったわけです。

長年怠惰な生活をしていた人(例えば私です)が、何となく「俺も65才までにはなんとかなると思うね」と考えてはいけないのです。

カーネルがKFCを立ち上げたのは、確かに65才の時です。

しかし、ここまでお話した内容を見れば「遅咲きは一日にしてならず」ということをわかっていただけるかと思います。

正直、自分も彼の生い立ちを詳しく調べて若干がっかりした人間の一人ですが、確かなことは、65才で始めた事業が一気に広がる可能性もあるということです。

若くしてカーネルと同じ実績は残せなくても、彼と同じ心構えだけは、頑張れば身につけられるはずです。

実績がなかったらなかったで、カーネル・サンダース以上に出遅れた人々の励みになるでしょうから、それはそれで立派な才能、アドバンテージだと考えていいでしょう。

結局のところ、遅咲きの成功を支えるのも「遠い未来を見る」ことでなく「今をしっかり生きる」ということなのだと思います。

【参考資料】
カーネル・サンダース自伝(KFC公式サイト)

                        

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