古代ローマ帝国の生活は快適だった~高層マンションに無料の浴場!?
古代ローマ帝国は、その時代こそ二千年も前ですが、実は現代並みと言ってもよいほど、生活環境は整っていたようです。
映画ともなった、古代ローマ帝国が舞台の漫画作品「テルマエ・ロマエ」をみた方ならご存知でしょう。
我々現代人であってもそれなりには快適に暮らせそうなのです。
紀元前から紀元後まで数百年続いた古代ローマ帝国へ、もし行けるとするなら、どのような点に気をつければよいでしょう?当時の生活の様子をのぞいてみましょう。
古代ローマはどんな都市だったのか?
その始まりは紀元前753年、ロムルスという人物により建てられ、その時初めて「ローマ」の名が付いたと伝わっていますが、国家としてのローマの起点をいつにするかは、議論のわかれるところです。
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この、紀元前753年が始まりとすれば、西暦1453年に滅亡するまで、実に二千年以上存続したことになります。
大陸の中でせめぎあいながらも、これほど長く歴史がつづいた国は、ほかに例がありません。
その古代ローマ帝国の大きな特徴は、とても広大な領土をもっていたことです。当時は、侵略戦争が重要な「産業」でした。
他の国家を襲い、金品を略奪し、その地域と人々をローマに加えいれることで、強大な国家を作り上げていました。
注目すべきポイントは、ローマ帝国は「宗教」や「人種」に対して、とても寛容だったという点です。
侵略の対象となった国であれ、その地域の言語や文化などを認めていました。
宗教についても、キリスト教が国教として採用されるまでは自由な信仰が許されたのです。
「ファヌム」と呼ばれる神殿では、あらゆる異教の神を祀られてたといわれています。
新しい文化をつぎつぎと受け入れ、生まれ変わりつづけることで、ローマ国内で違う民族同士が、ぶつかり合うことなく共存できました。
この方針が、古代ローマ帝国を強大な国家へとのしあげたともいえます。
私たちのような現代の日本人でさえ、ローマ市民となることはきっと可能でしょう。
うまく取り入り、権威をしめすことができたならば、皇帝にさえなれるかもしれません。
公共事業が皇帝を支え、文化を支えた
ローマ市では紀元前から、その生活レベルは非常に高かったと考えられています。
ローマに並ぶ生活レベルを備えた国家は、その後の歴史をみても、長いあいだ現れないことから、その特異性が注目されます。
それというのも、当時のローマ皇帝は、とにかく自らの権威、皇帝としての相応しい能力を示し、民衆へ認めさせること、いわゆる人気取りが重要でした。
そのための手段として、多くの皇帝は公共事業を推進することを選びました。
結果として娯楽施設や上下水道が設置され、それらを建設した皇帝は、現実に評価されることになったのです。
中でも、水道が完備されたことは、ローマの生活レベルを飛躍的に上昇させることに繋がりました。
公衆浴場が設置され、すべての市民に無料で開放したため、入浴の習慣が生まれたのです。
古代ローマ帝国といえば、次々と戦争を起こし、領土を拡大した粗暴な国家だと思われがちですが、非常に文化的な面を持ちあわせていたのです。
古代ローマへ行くなら、胡椒を忘れずに!
もしもあなたが古代ローマ帝国へ行けるとなれば、ともかくお金が必要です。
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我々が普段使っている紙幣や硬貨そのものには、残念ながら現地ではほとんど価値がありません。
(お札は、上質な紙としてある程度は注目されるかもしれません)
しかし、現地のお金を手に入れることはおそらく可能です。
古代ローマ帝国では、実は胡椒が非常に高価であり、同じ重さの金と取引されていた、ともいわれています。
胡椒をカバンに満載して持っていけば、市民として一生困らない程度のお金は手にすることができるでしょう。
もちろん、それらをすぐに持ち帰るのも有効です。
現地のお金は、金や銀など価値ある金属で作られているものもあり、硬貨そのものが充分な価値を保証してくれているのです。
古代ローマ帝国には高層マンションがあった!
古代のローマでは、最盛期であれば100万人を超えるほどでした。
人々が家を持つには土地が狭すぎたため、住まいを確保するため「インスラ」と呼ばれるアパートを建設し「賃貸」の形で市民に提供されていました。
その階層は、一般的には6階、中には9階という高さのものまであったといわれています。
その1階は店舗として利用されており、このような構成の建物は、日本の都市部でもよくみられます。
ただし現代の日本と違い、階層が低ければ低いほどその賃料は高かったようです。
店舗のすぐ上、2階部分が最も高額であり、市民にとっては高嶺の花でした。
それというのも、当時としては高い建築技術を持っていたといえ、高層にするためには、高い部屋ほど軽い建材を使わざるをえない状況にありました。
壁も増やさなければならず、高い部屋ほどせまかったようです。
さらに、エレベーターなどありませんので、上階へと登る労力は無視できません。
火災や倒壊などの危険性もあったため、上階ほど人気がなく、借りては少なかったようです。
甘いものを食べてはいけない!?
当時のローマでは「サパ」とよばれる甘味料が料理などに広く使われていました。
甘味料なので、もちろん食べると甘いのですが、現代ではサパを「酢酸鉛」とよんでいます。
「鉛」の文字から分かるとおり、サパを食べることは、鉛を食べるようなものなのです。
鉛中毒を引き起こすため非常に有害であり、いまは甘味料として使われることはありません。
古代ローマ帝国では、有名な指導者や皇帝がたびたび謎の不審死を遂げたという記録がのこっており、サパによる鉛中毒がその要因ではないか、とする説さえあるほどです。
古代ローマで甘いものが食べたくなったら、ハチミツで満足するしかありません。
このように、古代ローマ帝国はそれなりに生活しやすそうですが、現代が進みすぎていることもあり、埋まらない溝はあるようです。
しかし、紀元前の時代からこれほどの設備を実用化していたことには、ただ驚くしかありません。
byヒビタカ
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