雨月物語 ~江戸時代に成立した日本最古の怪談集にみる上田秋成の思惑
日本最古の怪談と言われているのは、江戸時代に成立した『雨月物語』です。
怪談自体は平安時代から存在していましたが、「一冊まるまる怪談本」というのは雨月物語が初と言われています。
ここではその雨月物語の概要や、作者の上田秋成について語ってみたいと思います。
雨月物語とは?
雨月物語は、江戸時代の後期に発表された作品です。
スポンサーリンク
怪談として有名なだけではなく、近世日本文学を代表する作品としても知られており、実際、作者の上田秋成もこの作品に相当な自信を持っていたことが序文からわかります。
(この序文については、後程説明します)
内容は「怪談小説9本」が集まったものです。
日本の古典に由来するものもあれば、中国古典に由来するものもありますが、それまで散財していた各地の怪談を集めた「怪談ベスト盤」のようなものと言えるでしょう。
『雨月物語』の名前の由来は?
これには諸説があるのですが、「雨がやんで、月がおぼろに見える夜に編纂した」ということが序文に書かれています。
しかし、たった一夜で編纂できるはずがないですし、あまりにも非現実的な話なので、これは一つのしゃれというか、上田秋成の文学的表現にすぎないものでしょう。
怪談を集めているということもあり、作中には雨や月が登場する場面が多いので、それに由来しているということも考えられます。
たとえば古いアメリカ文学風のタイトルでいうなら「雨と月」のような感じでしょう。そう考えるのが自然かも知れません。
■西行が登場する謡曲『雨月』から来たという説
雨月物語には西行が登場する物語もありますが、この物語とは別の謡曲に、西行が登場する『雨月』というものがあります。
ここからつけたのではないかという説ですが、確かにインスピレーションを受けた、ということはあるかも知れません。
現代の作家でいうなら、何か映画などのタイトルを見て「あ、これ使お」とひらめくような感じでしょうか。
そのようにインスピレーション的に考えると西行の『雨月』もあり得るかも知れませんが、内容を考えると、西行が登場する物語とこの謡曲はミスマッチなので、直接の由来ではないと指摘されています。
スポンサーリンク
上田秋成の自信作 ~序文から読み取る自負~
作者の上田秋成はこの作品にかなりの自信を持っていたことが序文でわかります。
理由は、序文で『源氏物語』や『水滸伝』と比較していることです。この2作品について秋成はこう書いています。
「源氏物語と水滸伝は、現実と間違うくらいにすごい作品を書いたため、神に並ぶ所業をしてしまった。その罰として、2人(紫式部と羅貫中)はひどい目にあった」
*紫式部は『今物語』という後の書物によって「一度地獄に落ちた」とされており、羅漢中は子孫3代が言語障害に陥ったと言われています。「罰」というのはこのことです。
「しかし、私はこのように、誰がどう見ても本物なわけがない、荒唐無稽な物語を書いているので、罰など下るわけがない」
とジョークを交えながら両作品を立てています。
しかし、もし本当に「ただの荒唐無稽な作品」と思っているなら、この2作品と自分の作品を比べることはないでしょう。
しかも秋成は最後に「剪枝畸人書」という署名をしています。
この「剪枝畸人」というのは、秋成が子供の頃に手の指を2本失ったことをネタにしているものですが、「自分にひどいことが起きるわけがない」と書いていながら、このようなネタを披露していることには何か意味があると専門家は指摘しています。
つまり、「紫式部や羅貫中が受けたような罰を、私はすでに受けている。私は、生まれながらにして彼らのような作品を書く星の下に生まれている」という自信に満ち溢れた宣言とも受け取れる、という指摘です。
もちろん「本当にネタにしてただけでは?」という見方もできるかも知れません。
秋成の真意はもちろんわかりませんが、いずれにしても現代の専門家の間では、上のような見方もされています。
実際、源氏物語が古代文学の代表作なら、雨月物語は近世文学の代表作といえなくもないので、文学史の中で見れば決して源氏物語に引けを取らない作品ということがいえるでしょう。
以上、雨月物語の内容、名前の由来や上田秋成について語りました。
興味がある方は、下のリンクで更に詳しく読んでみてください。↓
今回の写真と、同じロケで撮られたものです。
よろしければこちらもお読みください☆↓
スポンサーリンク